株式会社スマレジの開発部でスマレジのサーバサイドを作っています

あの日、ぼくが見た風景(東日本大震災)

こんにちは!株式会社スマレジ、入社11週間目のマサです!

 

だんだんと春めいてきたと思ったら、寒の戻りがあったり、落ち着かない気候ですね。
暖かくなるまでもうちょっと!体調には気を付けていきたいです。

今日は前回書いたように、ぼくの震災の記憶を振り返ってみたいと思います。

震災当日

2011年3月11日、大阪在住の僕は山梨県甲府に向かっていました。

理由は大学入試のためでした。翌日の3/12は国立大学入試の後期入試だったんです。

僕は国立大の前期入試に落ちた上に私立に行く余裕もなかったため、ダメ元で後期入試を受験しに行ったんです。

当日の行程は新大阪から静岡まで新幹線で、そこからは身延線甲府駅まで特急ふじかわで向かい、昼過ぎについて大学を下見して、信玄公をお祀りしている武田神社のお参り、そして甲府駅前の東横インで宿泊するでした。

地震が来たのは静岡駅で身延線に乗り換えて、ふじかわが丁度内船駅の前あたりでした。突然ドカンッという大きな揺れが電車を襲い、最初は事故か何かかと思いました。

特急は速度を下げ、内船駅で臨時停車。

そこから8時間、電車は動くことなく日はすっかり沈んでしまいました。

同じように受験目的で乗車していた高校生が何人かいたこと、事情を察知した地元のタクシー会社さんが沿線の駅を回ってくれていたこと、ほかにもいくつかの偶然が重なって、僕は内船駅から甲府駅まで、タクシーの相乗りにのせてもらうことができ、深夜12時前に甲府駅に到着することができました。

タクシーの窓からは、土砂崩れになっているところがいくつも見つかり、線路上には整備の方が何人も歩いて除去作業をされている光景が目に入りました。

甲府駅前は停電していて、一部の自家発電を備えているビルを除いて、明かりは全くありませんでした。

静岡駅を出たあたりで、ケータイの充電がなくなってしまっていた僕は、ホテルで急いで充電器を借りて携帯の電源をつけました。

100通近いメールと着信履歴が目に入って、目を通そうとした瞬間に友人と高校の先生から着信があったことは今でも強く印象に残っています。

そして、テレビをつけてあの津波の映像を見て、僕は初めてとんでもない規模の地震がきたことを理解しました。

それからも一晩中揺れは続き、不安で恐怖の中、見知らぬ土地で一夜を過ごしました。

本当に怖かった帰り道

当日、数時間遅れで始まった試験を受けて、僕は電車で帰ろうとしました。

そして、そこにはごった返す人の山と、特急が止まっていて、各停しか走っていないという表札。

大きな地震ではあったけど、これだけ混乱しているのなら無理に動かずに、もう一泊山梨でしていこうか・・・?

そう思って、実家に電話をかけると、「鈍行でもいいから早く帰ってこい」の一点張りでした。不審に思って友人にも電話をすると同じく「いいから帰ってこい」。

この時、言いようのない嫌な予感が駆け巡りました。

身延線の各駅停車にのって、外を眺めていると隣のボックス席から聞こえてきた言葉。

「どこかの原発が爆発したらしい・・・」

帰り道は伝えていたので、浜松原発ではないだろうとは思っていましたが、それでも体の芯が急に冷やされるようなあの感覚は一生忘れられないと思います。

10時間以上の移動の末、僕は何とか当日中に大阪まで帰り着くことができました。

 

あの日の混乱と今

地震の中終えた波乱の後期入試に僕は幸運にも合格することができました。

そして山梨での4年間の思い出は今の自分にとってかけがえないものになっています。

しかし同時にその思い出の中には地震の影が常にそばにあった4年間でもありました。

受験の時だけでなく、通学し始めても1年生の時は「雨に当たらないこと」「極力海藻をとること」といった、放射能の影響を注意喚起する声があったり、何より被災者の学生さんもいらっしゃいました。

当時の風景や感情は今でも覚えていますし、これからも風化させないようにしたいと思っています。

それが僕にできる数少ないことの一つだと思うから。